国立競技場建設プロジェクト

着工に向け、
プロジェクトの前面に立つ

#01積算

中村 拓人

TAKUTO NAKAMURA

工学部 建築学科 卒/2001年入社

出身は栃木県。学生時代はサッカーに明け暮れた。現在もサッカー観戦とフットサルが趣味で、クリスティアーノ・ロナウドの大ファン。

※内容は取材当時のものです

中村 拓人の画像

中村 拓人

TAKUTO NAKAMURA

工学部 建築学科 卒/2001年入社

出身は栃木県。学生時代はサッカーに明け暮れた。現在もサッカー観戦とフットサルが趣味で、クリスティアーノ・ロナウドの大ファン。

※内容は取材当時のものです

PHASE01

工事の透明性を示す仕事

積算の仕事とは、案件入手活動における各段階(企画・基本計画・基本設計・実施設計など)にて、入札金額の判断の基となる正確な原価を算出したり、発注者の予算の指標や各プロジェクトのコストが経済的・合理的であるかを確認したりする役割を担っている。設計や施工などと異なり、成果が形となって残るわけではないが、大成建設が適正なコストでプロジェクトを遂行するためには、なくてはならない存在である。

中村が国立競技場建設のプロジェクトにアサインされたのは2015年9月のこと。公募が行われ、案件受注に向け大成建設のプロジェクトチームが始動したタイミングだ。中村は積算担当として、技術提案における事業費を算出する役割を担った。コンペの末、2015年12月、大成JVに優先交渉権が与えられ、新しい国立競技場建設に向けた第一歩を踏み出した。

「国民の誰もが知るようなプロジェクトですので、このような案件に携われることは大変光栄でした。優先交渉権という形ではありましたが、まずはそのスタートラインに立つことができた。ただ、このプロジェクトの難しさはその先に待っていました」

phase1の画像
PHASE02

一つの遅れが命取りに

本件は設計・施工一括の「公募型プロポーザル方式」と呼ばれる発注形式で、まずは設計・施工技術検討の契約(Ⅰ期)を締結し、設計内容や工程などをもとに、価格の交渉・契約を行い、要求水準・提案事業費・工期が遵守できることを確認できてはじめて、施工の契約(Ⅱ期)を締結するというもの。契約が2回に分かれるため、Ⅰ期に発注者の要望を満たすことができなければ、施工の契約に至らない可能性もある。国立競技場建設で予め決められた上限金額(提案事業費の遵守)を意識したうえで、必要な工事原価を算出し、施工の段階へと正確に引き継がなければならない。

その中で中村は、原価の算出だけではなく、発注者とのコスト協議を担当しており、コストの説明や各種調整役も担っていた。これまで中村が、官公庁案件に数多く携わってきたこともあり、その先頭に立つ人物として白羽の矢が立ったのだ。しかしながら、これだけの規模の案件は中村自身も経験したことがない。

「積算すべき部材の数が多く、契約に必要な書類も膨大な量でした。加えて限られた工期のプロジェクトだったため、設計のスケジュールも非常にタイトでした。ただ、期限までに設計を完成させ、且つ全ての適正なコストを算出したうえで、Ⅱ期の契約を締結しなければなりません。まずは要求水準書を熟読し、価格交渉に必要な積算業務の成果物について、毎週のように協議を重ねました」

作業が一つ遅れれば、工期通りの引渡しができなくなる恐れもあるが、国家事業として適切な積算を確実に行わなければいけないプレッシャーもある。工期と工事費の透明性。その狭間で揺れながら、中村は関係各所との調整に奔走した。

「できる限りコストを抑えつつ、質の高いスタジアムとなるよう、様々な人と打ち合わせを重ね、あらゆる手を尽くしました。最終的には発注者との協議を粘り強く行い、工事費の透明性を説明することができました。私は積算の担当でしたが、当社の設計や施工部門、JV他社の担当者など、各分野のスペシャリストたちと密に連携を行い、準備を進めることができたと思います」

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PHASE03

積算が果たす責務の大きさ

2016年10月、Ⅱ期の契約が締結され、国立競技場の建設が開始した。中村がプロジェクトに参加しておよそ1年。そのバトンはようやく施工へとつながれた。

「あっという間に過ぎ去った1年でした。私が担当した発注者との調整役は、オフィスビルなどの民間案件と比べると、イレギュラーな役割ではありましたが、またとない経験ができたと思います。例えば今後、大成建設が設計・施工一括方式での官庁案件に注力していくうえで、このような仕事は欠かせないものになります。その役割を担えたことを、誇らしく思います」

中村は工事着工後も、設計変更に伴うコスト支援に従事しており、何度か国立競技場の作業現場を訪れた際の光景は、今も脳裏に焼きついている。

「あまりの規模の大きさに圧倒されました。普段は現場に行くことが少ないのですが、完成が近づくスタジアムを見たときは、そのダイナミックさを肌で感じることができました。改めて自分の仕事のスケールの大きさを実感しました」

中村の果たした責務は、スタジアムの形として残るわけではないものの、彼の努力は確かに、地図に残されている。