新阿蘇大橋建設プロジェクト

予測不能な困難を乗り越え成長を遂げていく

#04工事担当

草野 瑞季

MIZUKI KUSANO

理工学部 都市環境学科 卒/2017年入社

神奈川県出身。大学時代は海洋土木を専攻していた。熊本へ配属になったことを機に、車を購入。現在はドライブが趣味で、車で国内旅行に出かける。熊本配属時は、休日に広島まで行ったこともある。

※内容は取材当時のものです

草野 瑞季の画像

草野 瑞季

MIZUKI KUSANO

理工学部 都市環境学科 卒/2017年入社

神奈川県出身。大学時代は海洋土木を専攻していた。熊本へ配属になったことを機に、車を購入。現在はドライブが趣味で、車で国内旅行に出かける。熊本配属時は、休日に広島まで行ったこともある。

※内容は取材当時のものです

PHASE01

初任地の戸惑いから使命感へ

当時新入社員だった草野は、新阿蘇大橋の現場が初めての配属だった。神奈川で生まれ育った草野にとって、熊本は縁もゆかりもない土地。もちろん知り合いもいない。

「最初は不安でしたね(笑)もちろん全国どこへでも行くつもりではいたのですが、いざ決まると、全く知らない場所。実際に現地へ着いたときも、ここは一体どこなんだろうという感じでした。ただ、現場に配属されて橋を架ける場所を目にしたとき、その規模の大きさに使命感が湧いてきました」

工事係として先輩社員に仕事を教えてもらいながら、学んでいく日々。学生時代に土木を専攻していたとはいえ、現場は初めての経験。右も左も分からない。そんな中で任されたのが、急遽使用が決まった巨大インクラインの設置だ。現場の職人たちと入念に打ち合わせを重ねながら、インクラインを構築していく。工期短縮に向けた最重要設備であるインクラインの設置が遅れれば、全体のスケジュールにも影響しかねない。新入社員ながら、責任の大きな仕事と向き合っていた。

「私にこの役割が務まるのかと悩んだこともありましたが、上司の方々をはじめ協力会社さんや職人さんたちに助けられ、無事インクラインを完成させることができました。雪が降りしきり、凍えるような寒さの日もありましたが、この仕事を乗り越えて春を迎えたときは、ほんの少しですが、成長できた気がしました」

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PHASE02

やってみないと分からない、自然の難しさ

草野が3年目を迎えた頃、工事は橋脚を立てるための基礎となる深礎工に突入していた。本プロジェクトにおける最難関とも言える作業である。硬い岩盤を掘り進め、橋の土台となる基礎を築いていく。ところがここで、自然の猛威が進捗を妨げた。

「施工前から湧水の発生が予想されており、掘削作業を進められる水量ではなかったため、止水対策を行う計画へと変更しました。厳しい工程のなか、いつ水が発生してくるか、どれだけの水を止められるか、事前に予見することは困難です。また掘削を進めるなかで、どのような岩盤が出てきて、それを掘り上げるのにどれくらいの日数がかかるかは、やってみないと分からない。実際に湧き水や掘削困難な岩が現れたことが何度もありました。目に見えない地盤を扱うだけに、工程管理は非常に苦労しました」

それでも、橋の早期復旧は本プロジェクトの使命。工期を遅らせるわけにはいかない。できる限りの事前準備を行い、トラブルに備えて進められる作業は先に進捗させ、スケジュール調整を行っていった。困難を極めた深礎工であったが、全員で協力し合い、工程から遅れることなく完了した。大きな山場を乗り越え、現場にはより一層の一体感が生まれていた。

「深礎が完了したときは、社員も職人さんたちも一緒になって『お疲れ!』と労い合いました。厳しい条件下での工事でしたが、不思議と苦に感じたことはありませんでした。ときには職人さんたちと他愛もない話で盛り上がったり、園部所長の振る舞ってくださったご飯をみんなで食べたりと、非常に良い雰囲気のなかで仕事ができていました」

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PHASE03

苦労の先には、何倍もの喜びがある

竣工時、草野は入社5年目に差し掛かろうとしていた。入社以来、ずっと携わってきた思い出深い現場。新阿蘇大橋開通後、草野は自分の車で橋を通過したときの光景を、忘れることができない。

「地元の方々が、手を振りながら私を見送ってくれたんです。そのときばかりは、自然と涙が出てきましたね。寒さに震えたインクラインの設置も、苦労に苦労を重ねて行った深礎工も、作業所のみんなで笑い合ったあの時間も、すべてはこの瞬間のためにあったのかと。このプロジェクトに携われて本当に良かったと、心の底から思います」

新阿蘇大橋のプロジェクト後、現在は静岡県で高架橋の工事に携わっている。

「何も分からない状態で配属された現場でしたが、先輩方や協力会社、職人さんたちに優しく、厳しく指導していただいたおかげで、今の私があると思っています。今度は私が、新阿蘇大橋での経験や知識を、後輩たちに伝えていきたいと思っています」

新米だった草野は、新阿蘇大橋と共に、立派な土木社員へと成長していた。