新阿蘇大橋建設プロジェクト

期待を上回る提案を

#01土木設計

荒川 和哉

KAZUYA ARAKAWA

自然科学研究科 環境土木工学専攻 修了/2001年入社

出身は愛知県。しかし幼少期は父の仕事の影響で、全国を転々としていた。小さい頃から野球観戦が好きで、応援しているチームは読売ジャイアンツ。東京ドームへ観に行くこともある。休日は妻と、街の景色を眺めながら散策をすることが日課。

※内容は取材当時のものです

荒川 和哉の画像

荒川 和哉

KAZUYA ARAKAWA

自然科学研究科 環境土木工学専攻 修了/2001年入社

出身は愛知県。しかし幼少期は父の仕事の影響で、全国を転々としていた。小さい頃から野球観戦が好きで、応援しているチームは読売ジャイアンツ。東京ドームへ観に行くこともある。休日は妻と、街の景色を眺めながら散策をすることが日課。

※内容は取材当時のものです

PHASE01

目の前に広がる、荒れ果てた思い出の土地

地震発生当時、荒川は東京にいた。テレビで流れてくる第二の故郷の姿は、自分が知っているあの場所とは思えなかった。

「熊本の大学に通っていたので、ニュースを見たときは愕然としました。自分の慣れ親しんだ街が、こんなことになってしまうのかと。崩落した旧阿蘇大橋は、車で何度も通ったことがありましたので、その思い出までが崩れ去ってしまうようで、やるせない気持ちになりました。調査のために崩落した旧阿蘇大橋を見に行ったのですが、周辺の景色が様変わりしていましたね」

旧阿蘇大橋は交通の要所であり、橋なくして地元住民の生活は成り立たない。新しい橋梁建設による交通インフラの早期復旧が求められ、国土交通省をはじめとする行政機関は、急ピッチで準備を進めていった。入札公告されたのは、地震発生から約半年後。大成建設は本件の応札を決め、入札に向けた準備を行っていた。荒川は入札における技術提案担当として、プロジェクトチームに加わることとなった。荒川が担ったのは技術提案書の執筆。入札においてプレゼンにも使用される資料で、提案内容の核となる部分が記されている重要書類である。

「思い出深い土地だからというのもありますが、何より復興に携われるのは、大変意義のあることです。私の提案内容によっては、地域の方々の生活に多大な影響があるわけですから、責任もやりがいも大きい。一日も早い復旧を実現するために、提案準備を進めていきました」

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PHASE02

いかにして実現性の高い提案を行うか

工期の短縮。それが本件における最大のテーマであった。通常であれば工期に約5年の歳月を要するが、災害復旧という位置付けであるため、そこまでの時間をかけるわけにはいかない。落札するためには、できる限り短い工期で完了できることを示さなければならなかった。だが、南阿蘇地域周辺の環境を知る荒川は、工期短縮がいかに困難であるかを理解していた。

「本件は国内でも有数の規模を誇るラーメン橋でしたので、高い技術力と組織力も必要とされました。加えて阿蘇大橋周辺は急峻な地形であるため、工事に必要な資機材の搬出入に時間がかかったり、特殊な地質であるがゆえに予期せぬトラブルが起こったりと、難工事となることは容易に想像がつきました」

大型機械の導入による作業の省力化や、特殊な工種の採用など、工期短縮に向けた様々な提案内容を盛り込んでいく。しかしながら、それだけでは競合他社を上回る大きな差別化にはつながらない。JV組成企業である株式会社IHIインフラ建設や株式会社八方建設との連携のみならず、着工後の専門工事会社とも綿密な打ち合わせを重ね、施工方法および工程短縮に向けた施策を練っていった。大幅に工期を早める提案をしたとしても、実現性の低い計画であれば落札には至らない。専門工事会社とワンチームになり、施工時を見据えたより実現性の高い技術提案書をつくり上げていったのである。

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PHASE03

綿密な準備が勝敗を分ける

公告から約2ヶ月が経った2016年12月、荒川は技術提案書を完成させた。そこには、標準工期より1年4ヶ月も工期を短縮したスケジュールが明記されていた。そして2017年2月の入札を経て、「大成・IHIインフラ建設・八方建設地域維持型建設共同企業体」の落札が決まった。この時競合他社が提案した工期短縮は約7ヶ月。実に300日近い開きがあった。

「工程、費用面も含め、発注者のご要望以上の技術提案ができたからこそ、受注につながったのだと思います。最初は手探り状態でしたが、詳細を詰めていくなかで実現性の高い計画がつくれ、『これなら大丈夫だ』と胸を張れる提案になりました」

何より荒川にとっては、かつての地元に貢献できたことが嬉しかった。

「受注が決まったときは素直に喜びました。思い入れのある場所の復興に微力ながら携われたことは、非常に光栄でした。一方で、本プロジェクトにおける私の役割はここで一区切り。実際の工事はより厳しいものになるだろうと思っていましたので、現場に向かっていった同僚たちには『後は頼んだ』という気持ちで送り出しました。ただ、大成建設の土木社員ならきっと成し遂げてくれる。そう確信していました」

そうして荒川の想いは、現場へと受け継がれていった。